クーヴェルトワラードの変転
サン・ジャン・ダルカに泊まるかどうか考えた末、空模様があまりに怪しいのでモンペリエに帰ることにしました。真っ直ぐ帰るのも残念だったので、大昔に一度訪問したことのあるクーヴェルトワラードに寄りました。聖地エルサレムに赴く人々の宿泊地であったのは、南北交通の要に位置しているからであり、この中世に発展した村の直傍を、今では高速道路が通っています。普段通らない山道を抜けて、高速道路の向かい側に行くと、岩石がところどころ露わになっている原野の只中に、こじんまりとした城砦が見えてきました。昆虫の保護色のような石色が周りの原野に溶け込んでいます。

この町の建築がタンプリエとオスピタリエによって始められたのは12世紀でしたが、追剥の蔓延る物騒な世の中だったので、14世紀半ばに武装して町を要塞化する許可が下りたそうです。フィリップ美男王の企んだ陰謀により、タンプリエ騎士団は無実の罪を責められ、1312年に解散されます。フランス国王の魂胆はタンプリエの財産を横取りして国の赤字を埋めることだったようですが、彼にとって残念なことに、クーヴェルトワラードその他の財産は、フランス出身の法王クレマン5世によって、オスピタリエに与えられます。言い換えると、武装した騎士団の寿命は救護修道士のそれより短かったということですね。城砦の中の町はほとんど完全に修復されて、一番保存の行き届いた中世の町と看做されているそうです。この北門を潜って城砦内に入ります。

入り口に近い寡婦シピオンの家には観光案内所が居を構えています。これは15世紀の建物らしいです。

どの家を見ても階段を上って住居に入るようになっています。以前は家畜小屋になっていた一階は現在お店で占められていますが、アーチ形の丸天井が綺麗です。

このような雰囲気の町並みではプラスチック製の腰掛がなんとけばけばしく見えることか。

典型的な家を撮って見ました。屋根瓦は前回話したローズです。

何処を見ても絵になるので止められません。

地震の無い国だからこれほど長持ちするのかも知れませんが、なによりも修復に莫大な出費をしているからでもあります。ユネスコの世界遺産に指定されていますが、このような石造りの村はフランス中に数限り無くあります。この村を別格にしているのはタンプリエ騎士団の歴史の重みでしょう。

この町の建築がタンプリエとオスピタリエによって始められたのは12世紀でしたが、追剥の蔓延る物騒な世の中だったので、14世紀半ばに武装して町を要塞化する許可が下りたそうです。フィリップ美男王の企んだ陰謀により、タンプリエ騎士団は無実の罪を責められ、1312年に解散されます。フランス国王の魂胆はタンプリエの財産を横取りして国の赤字を埋めることだったようですが、彼にとって残念なことに、クーヴェルトワラードその他の財産は、フランス出身の法王クレマン5世によって、オスピタリエに与えられます。言い換えると、武装した騎士団の寿命は救護修道士のそれより短かったということですね。城砦の中の町はほとんど完全に修復されて、一番保存の行き届いた中世の町と看做されているそうです。この北門を潜って城砦内に入ります。

入り口に近い寡婦シピオンの家には観光案内所が居を構えています。これは15世紀の建物らしいです。

どの家を見ても階段を上って住居に入るようになっています。以前は家畜小屋になっていた一階は現在お店で占められていますが、アーチ形の丸天井が綺麗です。

このような雰囲気の町並みではプラスチック製の腰掛がなんとけばけばしく見えることか。

典型的な家を撮って見ました。屋根瓦は前回話したローズです。

何処を見ても絵になるので止められません。

地震の無い国だからこれほど長持ちするのかも知れませんが、なによりも修復に莫大な出費をしているからでもあります。ユネスコの世界遺産に指定されていますが、このような石造りの村はフランス中に数限り無くあります。この村を別格にしているのはタンプリエ騎士団の歴史の重みでしょう。
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