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ジャン・ミシェル・ジャールの素顔

昨日仏語パソコンでビデオ処理をしながら、PCが働いている間、片目で監視しつつテレビを見ることにしました。私の注意を引きつけたのは、ミレイユ・デュマという年増の司会者が大活躍している「私生活、公生活」と題名のついた番組の録音でした。主人の好みではないので滅多に見ませんが、人々の生涯と性格に興味を持っている私には、限り無い宝庫であるように見えます。

その日のゲストのひとりはジャン・ミシェル・ジャールでした。昔から「OXYGENE 幻想惑星」と呼ばれる音楽が好きだったので、神経を集中して彼の言うことに耳を傾けました。司会の上手い誘導に従って、生い立ちから現在に至るまで、人生の流れを大まかながら見せてくれました。元々好意を持っていたアーチストですが、このインタヴューで余計に好きになりました。61歳になったそうですが、とても若々しく、初婚で得た長女より皺が少ないように見えました。

彼の人生で初めての痛手は父親の不在でした。彼が5歳の時に父はアメリカに去り、新しい生活を始め、映画音楽の作曲で名を成しますが、自分は裕福になっているのに、フランスに残した息子の面倒は全くみなかったそうです。彼の有名な「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジヴァゴ」などを作曲し、アカデミー賞も3度受賞したモーリス・ジャールのことです。

母親は勇敢な人で、95歳になった今も健在だそうですが、ナチスに抵抗するレジスタンス運動に参加して3度も逮捕されて収容所に送られたという経験の持ち主です。あっぱれな育て方をしてくれたと思います。普通なら息子がホモになる可能性も大きかったでしょう。母親像が立派過ぎるとよくその傾向が出ますが、ジャン・ミシェルは不均衡に苦しむこともなしに大きくなりました。本当の大物に成長したと言えます。13,4歳の頃から家計を助けるために絵を描き始めたそうです。見たことありませんが、多分素敵な絵を残しているのではないかと思います。

そう言いたくなる根拠は、OXEGENEが売れる前に彼の名声を築いたのは作詞家としての仕事でした。クリストフの「レ・モ・ブルー 青い言葉」という歌をご存知かどうか知りませんが、現在若者の間でも人気が上昇しています。古い曲ですが、数年前からリバイバルして売れています。パトリック・ジューヴェが歌う「ウ・ソン・レ・ファム 女たちは何処だ」は永遠のヒットと言えます。これらの作品が彼のものだとは全く知りませんでした。才能がある人はトコトンまで長けているという例です。

去年父親が亡くなった時に許しを求めたと言っていました。許しを求めるのは父親のほうだったと思いますが、彼なりに許しを請うことにより気分が軽くなったそうです。永遠のライバルとして意識し続けた相手だったと思いますが、彼なりに慰めを得る機会があり、父が獲得した「音楽の勝利」賞を授与する役が彼に回って来たことがありました。その裏話として、セレモニーの司会役を務めたミシェル・ドリュケール氏は、他ならぬ、ジャン・ミシェルの異母姉妹の育て親だったと知りました。

モーリス・ジャールの若い時の写真を見ましたが、ものすごいハンサムでした。俳優でもこれほどの美男は少ないと思えるほどでしたが、このように捨て子をして歩くのでは傍迷惑ですね。その思い出があるせいか、ジャン・ミシェル・ジャールは本当に子煩悩な父親らしいです。現在よくある再構成された家族で、彼自身3度目の結婚ですが、現在過去の伴侶との間に出来た子供のみならず、連れ子たちも完全に受け入れた大家族を誇りにしているそうです。ユネスコの親善大使になった理由も、父無し子の過去があるからでしょう。惚れ直しました。