FC2ブログ

栗拾いの思い出

生家の庭に栗の大木が3本聳え立っていたので、毎年秋になると庭中に栗が落ちていました。かがんで拾うだけで良い果実として頭にインプットされたせいか、長いこと栗を買う気になれませんでした。

おまけに実が大きくて、とても甘味がありました。引越してから、時々父がお土産に買って来てくれた小粒の天津甘栗を除くと、栗を買った覚えがありません。

その態度はフランスに来てからも同じことでした。店頭で栗を見ても買う気になれないのは、心の奥で拗ねていたからでしょう。生家を奪われ、同時に栗もとられてしまったことが、今でも納得できないままです。

自然の中で果実を採集する時、そのような心の痛みが癒されます。フランスの田舎には誰の持ち物でもない果樹が生えています。公園とか公道沿いに植えられた木に成る果実にぶつかると、一生懸命拾い集めます。

それがイチジクだったり胡桃だったり、その時々ですが、自然の恵みが残っていると感じるだけで満足します。特別食べたい訳でもないのが不思議と言えば不思議ですが、思い当たる理由があります。

生家は父が建てたものでしたが、借地でした。家主と折り合いが悪く、ある日体よく追い出されることになりましたが、その時子供心に「所有」の意味が刻印されました。

所詮資本主義の社会だから...なんて大げさなことを言うつもりではありません。ただ単に悲しかったのですね。それで食傷になってしまったのだと思います。

栗を見ると傷が疼きます。それでも拾いに行くと気持ちが良くなるので、去年は山に登って栗拾いしました。

今年はパリ行きもあり、時間的に余裕が無かったので、今日思い切って栗を買いました。そしたら、やっぱり昔の栗ほど美味しくないのですね。思い出は美化するから???

古狸の顔

今日は頼まれて若い日本人女性と面会しました。以前世話した留学生と知り合いと言うことで、紹介しても良いかと尋ねられたので、日本的に「いいですよ」と言わざるを得ませんでしたが、本心はと言えば、全く乗り気ではありませんでした。

それもなんとなく、人生の先輩を拝むなんて謙遜な態度ではなくて、奇妙な進化をした異国の動物を見たい好奇心に駆られているような気がしないでもありませんでした。40年もモンペリエに住んでいる古狸はどんな顔して、何を考えているのか知りたいだけみたいです。

良く言えば率直、実感的には礼儀知らずの女性は、某有名女子大の学生さんです。良家の子女しかいない筈の大学ですが、彼女の進化にはちょっとガラパゴス的な面がありますねぇ。自由を謳歌することだけ学んだけれど、その応用に答えが見つかっていないのでしょう。

このように近付いて来る人の内心には大きな迷いがあるのかも知れません。はっきりそうと意識している風には見えませんでしたが、心の何処かで、海外に身を落ち着けたくて行き場所を探しているみたいです。

海外で生きることにリスクはあるのか?自分にも可能か?出来ればもっと聞き出したかったのでしょうが、あまりゆっくりする暇の無いモンペリエっ子としては、空気を読む時間だけで勘弁してもらいました。

ハートブローチの意義

何度も援助物資を送ってくれた旧教え子からまた小荷物が届きました。中に入っていたのは東日本大震災の被災者を直接援助する試みである「ハート・ブローチ」でした。勿論美味しいお菓子も同封してくれる優しい心遣いでしたが、彼女が教えてくれたこの試みにとても惹かれたので一言伝えたいと思います。

EAST LOOPが主導するこのプロジェクトは思いやりの結晶みたいなものです。手持ち無沙汰では塞ぎ込んで当然ですね。仕事の道具も仕事場そのものも失い、仮設住宅で先の見通しのつかない生活をしている方にとって、自分の技能を編み物を通じて表現できることは素晴らしいアイデアです。

以下、ブローチに付いている説明書からの抜粋です。
「厳しい環境のなか『施されるばかり』の環境だと人は自分の存在意義を疑い無気力と孤独感に悩み、精神的なダメージに繋がることがあります。
人にとって『働く』ことを通じ『褒められること』『役に立つこと』『必要とされること』は生きていく力になっていくと私たちは信じています。」

感動させられる言葉です。特にこちらフランスではアシスタナと一般的に呼ばれるようになった社会的保護システムのせいで施されることに慣れ過ぎて無気力になった人を多く見かけるからです。

ブローチ販売の売り上げが直接収入につながると言うのが素敵ですね。こちらでどの程度メッセージが行き渡るか分かりませんが、出来れば手元に取り寄せて、直接販売の機会をみつけたいと思っています。私が身につけているのは石巻のきんちゃん作成のピンクと白のハートです。親戚の誰かの手製を身につけているような楽しさがあります。

Broche-coeur.jpg

今から3月の記念行事に向けて少しずつ広めていけたらと思っています。

EAST LOOPのフェイスブック上のサイトへのリンクを貼り付けておきます。EAST LOOP

フライング子供時代

子供時代の一番印象に残る思い出はと言うと引越しでした。生家は他人様の土地に建てられていたので、父の経済状態が悪化し始めた時に売り払われてしまいました。地主に嫌味を言われることにウンザリした父が原価以下の値段で手放したと聞いています。

それが8歳頃に始まった悪夢の初幕であり、その後6箇所を転々とし、良い面を見るなら、遠退く田園風景を追いかけたと言うことでしょうか。東京での最後の住まいはご先祖様のお墓のある多摩墓地の近くになり、最期の住処に接近したような感じがしました。

さまよえるオランダ人的な要素はその頃から培われていたと言うことでしょうが、自分で決断できる年に達してからは唯一の目的が2度と引越ししないで済むことになったのは言うまでもありません。さまよう性向は船とかキャンピング・カーでの移動によって満足させ、帰れる家を確保することに夢中になっていました。

その熱望を象徴するのがモンペリエ生活であるような気がします。39年前に辿り着いた地ですが、ここならと見込んで根を張ることにした場所です。下町に一居を構え、スイート・ホームこそ我が王国と思っていますが、町そのものがフライング民族の吹き溜まりみたいな場所だと言えます。

多人種混合によりある種の均衡に達していますが、日々険悪化する国際情勢と国内の軋轢を見ると油断禁物です。身近なところで対話する機会を逃さないように配慮する日々です。これは子供時代に教えてもらった向こう3軒両隣の精神かなと思います。移動にも拘わらず、と言うより移動のおかげで、しっかり頭にインプットしました。

モンペリエ生活満39年記念日の独り言です。

スイスに引っ越した友

今日懐かしい友と久し振りに再会しました。フランスの経済政策に見切りをつけて財政天国と呼べる地域に移民する人はかなりいる様子ですが、この友人夫婦も社会党の勝利を予想してその決心をしました。行き先はジュネーヴで、分譲マンションを予約してからかなり経っているのに、まだ仮住まい中です。

プロモーターが信頼できる相手なのかどうか私自身は疑問を抱いていますが、スイスのように堅い国でもそのような不祥事があると言うことなのかと半分驚いています。もう半分は蛇の道は蛇の例なのかも知れないと思っています。税金を払わない代わりに詐欺の犠牲になるとしたら、どっちもどっちですが、ご本人たちは解決に向かっていると信じている様子なのでそうなるよう祈っています。

ご主人の投資家としての自尊心はそれで若干傷つき気分が損なわれたかも知れませんが、奥様の方はそれ以上のストレスを生きているような気がしました。70歳近くになって長く住んだモンペリエを離れ、全く縁の無い町に移住するには相当の精力が要るだけではありません。細かく編み上げられた情愛の絆や土地勘、人間関係、習慣全てをギヨチンにかけられたかのようにバッサリ切り捨てることになります。

私が母か姉のように慕っている友人の何処か寂しそうな顔を見て、彼女はモンペリエを離れたくなかったと信じました。夫唱婦随の典型を見る思いですが、男の傲慢さ、と言うか負けず嫌い、と野心には限が無いと実感する一時でした。